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キミとあるく - 久保家の物語 - 鯨井あめ

第一話「ぎりぎりスマッシュ」

 靴ひもを結んで「いってきまぁす」と言うと、キッチンからお母さんが顔を覗かせて「いってらっしゃい」と言う。  高校生の兄より、小学生の妹より早く、わたしは体操服姿で家を出る。自主参加の朝練は、ソフトテニス部のコートを独占できるチャンスなのだ。  春の朝は心地良い。中学の校門を抜けて、部室棟のロッカーに通学鞄と部活鞄を置いて、自分のラケットと大量のテニスボールを取り出す。コートに出て、早速、向かいのライン際を狙って打ち込んでいく。  白いゴムボールがラインの外に着地して、ぱこんっと跳ねた。なかなか狙い通りに行かない。次の大会で、対戦相手と観戦客をあっと言わせる華麗なスマッシュを決めたいのだけど。   「お、ナイスっ」  声に振り返ると、コートの内側に史帆がいた。「おはよう」とわたしが言うと、「はよ〜」とあくび混じりの返事。  史帆はクラスメイトで、同じソフトテニス部員で、ダブルスのペアだ。 「仁香は相変わらず早起きやなぁ」  半分寝ているような声で言いながら、史帆は制服のままラケットを握って向かいのコートに入った。  わたしは夜11[#「11」は縦中横]時に寝て朝6[#「6」は縦中横]時に起きる習慣がついている。史帆は、中学の目と鼻の先に住んでいることもあって1[#「1」は縦中横]年生の内は遅刻寸前まで寝ていたけれど、2[#「2」は縦中横]年生になってから「朝活とかおもろそうやん?」と史帆らしい気まぐれさで、わたしの朝練に付き合ってくれている。 「で、『ぎりぎりスマッシュ』はどんな感じ?」  いま練習中の技だ。命名はわたし。後衛から相手のライン際にピンポイントで叩き込む必殺技。 「試合で使いたいけど」と言いながら、わたしは手元のテニスボールを放って打ち込んだ。ラインの内側にボールが跳ねる。狙い通りだ。「コントロールはできるようになってきた」 「すご。んじゃ今日こそ、華麗なスマッシュ目指して、やってこ!」  史帆がボールを打って、わたしがそれをスマッシュで打ち返す。試合を想定した瞬間、ボールコントロールの難易度が上がって、成功率ががくんと下がる。というかいままで一度も成功したことがない。 「そうい、やっ」と史帆。いつもこうして打ち合いながら、わたしの動揺を誘うような発言をするのだ。史帆いわく、どんな状況でも冷静に対応するための訓練らしい。「さっき、吉田先生と山本先生が校門におって」「え、珍しっ」数学と理科の先生だ。「盗み聞きしたんやけど今日の数学っ」「うんっ」「小テストあるかもっ」「えっ」「えっ!?」  打ち返したボールが、狙ったところに綺麗に入った。 「ええっ」とわたし。「できた……」 「うそやん」と史帆がネットに近づいてくる。「びっくりして外すかと思ったのに。数学苦手やろ?」  笑いながら、わたしもネットに近づく。「逆。昨日、塾でわかるまで教えてもらったんよ」 「なるほど……仁香は狙いを定めて、あたしは狙いを外してしまった、というわけやね」 「なんなんそれ」史帆は本当に調子がいい。  わたしはさっきの打点と感覚を思い出しながら、ラケットを数回振った。ぶん、ぶん、と風を切る音。それを遮るように、予鈴のチャイムが鳴る。 「あれ、もうそんな時間?」史帆がラケットをくるりと回す。「撤収やね」 「まだやりたかったなぁ」わたしは制服に着替えなくちゃいけない。 「放課後いくらでもできるやん」 「それはそう」  晴れ渡った空の下、わたしたちはボールを片付けて部室棟へ戻る。  今日も学校が始まる。